Jim Vallance
Photo credit : Otto Taikyn
ブライアン・アダムスとのコラボレーションを中心に世界中の人達が耳にしている数々のヒット曲を生み出してきたコンポーザであるJim Vallance (ジム・ヴァランス)。 これまでにブライアン、エアロスミス、オジー・オズボーンなど数多くのアーティスト達と優れた楽曲を作り出しているジムであるが、その中でもブライアン・アダムスとのコラボレーションによる今年リリース30周年となる作品「Reckless」をはじめとした強力な作品群は多くのロックファンを魅了している。 音楽的なバックグランド、作曲面における考え方やブライアンとの曲作りの事など色々とジムに訊いてみた。
Photo credit : Bryan Adams
Interview / Text Mamoru Moriyama
Translation Yuichiro Chikamochi
Muse On Muse (以下MM) : あなたが音楽に興味を持つことになったきっかけについて教えて下さい。
Jim Vallance (以下JV) : 子供の頃は全く音楽に興味がなくて、テレビで主にホッケーや野球なんかのスポーツを見るのが好きだった。バットマンやスーパーマンのマンガ本を読むのも好きだったな。言い換えれば、カナダ人としてはごく普通の11歳の少年だった。でも、1964年2月9日にテレビでザ・ビートルズを見て全ては一変した。その瞬間、「ミュージシャンになりたい!」って思ったんだ。あれこそが僕の人生を変えたといえる。
MM : 当時はどのような音楽、アーティストに影響を受けていましたか? 彼等に惹かれた理由もお聞かせ下さい。
JV : 最も大きな影響を受けたのはザ・ビートルズだね。それは今でも変わらないよ!彼らのスタジオ録音はプロダクション、作詞、楽器の使用や演奏面でも画期的だった。誰も彼らを越えられないと思う。
MM : あなたはピアノ、ギター、ドラムとマルチな楽器プレイヤーでもありますが、それら楽器に取り組むこととなったきっかけやマスターしていく過程で目標としていたミュージシャンなど当時の思い出についてお聞かせ下さい。
JV : 楽器のチョイスもザ・ビートルズに影響されてのことさ。最初にドラムを選んだのはリンゴが理由だよ。彼は今でも世界で一番好きなドラマーだ。 13歳になる頃にはバンドでドラムを叩いていて、ギターも同じ頃に始めた。ピアノについては7、8歳の頃にレッスンを受けたことがあったので、少しは知識もあった。そんなわけで、13歳の時には、すでにこの3つの楽器をプレイしていたことになる。
MM : その当時は周りの音楽仲間とバンドを組んだりしていましたか? どのような音楽をプレイしていたのでしょうか?
JV : 「ザ・トレモローンズ」っていう、学校の友達と組んだバンドが最初のバンドだね。誰も歌に自信がなかったので、インスト主体のバンドだった。ザ・ベンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」とか「パイプライン」といったサーフミュージックを演奏していたよ。
MM : ソングライティングはいつ頃から始めたのでしょうか? 初めて作った曲はいまでも覚えていますか?
JV : 16歳の時に初めて「Marjory」って曲を書いた。あんまり良い曲だったとはいえないけど・・・まあ、そこまで悪くもなかったかな。
MM : ソングライティングしていく中で理論についても専門的に学んだのでしょうか? 気になるアーティストの曲などに対してどのような観点で分析や研究をしていたのでしょうか?
JV : 子供の頃に少しピアノを習っていたのに加えて、大学で一年間クラシック音楽を学んだ。でも、ほぼ独学だよ。個人的に、一部のミュージシャンは音楽教育を受け過ぎる傾向にあると思う。彼らは譜面に書いてある音符を読むことはできる。でも、それは耳よりもむしろ目に頼っているということだ。“楽譜が読める”というのは確かに重要なスキルだけど、それよりももっと大切なのは“自分の耳を活用する”ということさ。それこそがソングライティングで最も必要とされるスキルなんだ。
MM : ブルース・フェアバーンと共に活動していたバンド Sunshyne、Prism について詳しくお話し頂けますか?
JV : Sunshyneはジャズ、ロック、クラシックの要素を融合させたバンドだった。曲のアレンジ的には中々面白いものがあったので、スタジオ録音の機会に恵まれなかったのは残念だったけど、その一方で、僕らの音楽はラジオ向きとはいえなかった。レコード契約に漕ぎ着けるほどメインストリームではなかったんだ。 それで、Sunshyneの後に加入したのがPrismだ。Prismは僕にとって初めての“スタジオ・バンド”で、自分の曲が正式に録音されたのはそれが最初だった。今、聴き返してみるとかなりミスも多いけどね。まあ、厳密にいえば“ミス”というよりは、“今だったらああいうやり方はしない”とか、そういった類のことだな。ともかく、ブルース・フェアバーンも僕も若くて経験不足だった。僕らは本当に多くのことを一緒に学んだよ。Prismは僕らにとっての“学校”であり、“実験の場”だった。
Photo credit : Otto Taikyn
MM : 音楽キャリアの中で自身のバンドではなく、他のアーティストとのコラボレーションによるソングライティングやプロデュースをメインの活動に選んだのはなぜでしょうか?
JV : 世の中には、ブライアン・アダムスやスティーブン・タイラーのような“生来のパフォーマー”もいれば、僕やマット・ラングのような元来“裏方向き”の人間もいる。僕自身はよりプライベートで静かな日常を送る方が好ましい。スポットライトを浴びる必要はないんだ。
MM : ブライアン・アダムスとは長い間、作曲でコラボレーションしていますが、ブライアンと仕事するようになったきっかけや初めてブライアンと一緒に仕事をした際の彼の印象は如何でしたか?
JV : ブライアンと出会ったのは1978年1月のことだ。彼は18歳で、僕は25歳だった。僕は彼の歌とギタープレイとエネルギーに深く感銘を受けた。加えて、彼には多くの熱意と沢山のアイデアがあった。「物事をどう達成すべきか」なんて、彼自身、よく分かっていなかったと思うけど、彼には“ともかくやってやる”という決意があった。僕は喜んで彼に着いていこうと思った。
MM : ブライアンのアルバム「Reckless」がリリースされて30周年を迎えましたが、このアルバムを制作した当時の想い出や印象深いエピソードなど教えて下さい。
JV : 覚えていることの大半は、曲作りに如何に時間を費やしたかということだね。毎日12時間を1年間続けた。大変だったけど、凄く楽しかったよ。
MM : ブライアンとの共同作業では数多くの名曲を生み出していますが、ブライアンとの作業はどのように行われるのでしょうか? 作曲作業のプロセスについて詳しくお聞かせ下さい。
JV : 通常はどちらかが何かアイデアを出して、例えばそれはメロディーの一節だったり、歌詞だったりするんだけど、そこからそういったものをお互いに投げ合って、様々な要素を足していくんだ。“ソングライティング”というよりは、“ソングビルディング”って感じかな。曲として最終的に仕上がるまで、まるでパズルのようにピースを足していくのさ。
MM : ブライアンの曲では印象的なリズムギターやメロディックで心に残るギターソロがプレイされています。キース・スコットに以前インタビューした際に、それらはあなたとブライアンが事前に作っているデモの内容を継承しプレイしているとのことでした。デモでは曲の詳細なアレンジも含め作り込んでいるのでしょうか?
JV : 僕らが曲を書いた後は、いつもかなり細部まで作り込んだデモを録音する。「Reckless」の30周年記念アルバムでは、ボーナストラックとしてそのいくつかを聴くことができるよ。大抵は僕がキーボードとベースとドラムをプレイして、ブライアンがギターとヴォーカルを被せている。ブライアンのバンドメンバー達はそのデモから各々のパートを学んで、自分達の演奏スタイルを盛り込んでいく。例えば、「Somebody」のデモでは僕がベースとドラムを弾いたけど、それらを踏まえた演奏とはいえ、デイブ(テイラー)とミッキー(カリー)のプレイは上手すぎて、僕なんか到底足元にも及ばないよ!
MM : あなたは他にもAerosmith、 Ozzy Osbourne、 Heart、 Alice Cooperといった様々なアーティスト達と一緒に曲を書いていますが、それぞれのアーティストにフィットする曲を作る上ではどのような準備から入り曲のイメージを膨らませていくのでしょうか?
JV : 敢えていうなら、学校の課題で調べものをするような感じかな。過去の音源を聴き込んで、そのアーティスト独自のバイブに自分自身を浸透させるんだ。で、実際に本人に会った時に、そこからどのような方向に発展させたいのか、あるいは過去の音源からどう変化させたいのかを話し合う。 バンドと一緒に曲を書く際には、事前にアイデアを練っておくことと、スタジオでのスポンテイニアスな曲作りとのコンビネーションだね。
MM : あなたはこれまでに様々なアーティスト達と数多くの素晴らしい曲を生み出していますが、あなたの音楽キャリアを語る上で特に印象深い曲とその理由についてお聞かせ下さい。
JV : ブライアン・アダムスと書いた「Summer of 69」は僕にとって重要な曲だ。書いてから30年経っても未だによく取り上げられるし、世界中のラジオ局でオンエアされている。スティーブン・タイラーとジョー・ペリーと一緒に「ラグドール」を書いたのも良い思い出だ。アリス・クーパーやオジー・オズボーンと過ごした時間もとても楽しかった。自分はこれまでのキャリアにおいて、人との出会いに本当に恵まれていると思う。
MM : 曲を作りだす上では感性や才能が非常に重要だと思いますが、それが何十曲、何百曲ともなると、それだけでは続かないようにも感じます。 あなたのようにプロの作曲家として数多くの素晴らしい曲を作り続けていく上で必要なことは何でしょうか?
JV : ともかく何事も楽しくないとね。僕は創造的なプロセスも、所謂“仕事”と呼ばれるものも、どちらも楽しんでやっている。一方で、大笑いすることも大好きだ。スティーブンやオジーと同じ部屋で作業していると、どうしたって笑わずにはいられないような雰囲気になる。そうなると仕事も捗るし、同時に作業そのものが楽しくなる。僕とブライアンは仕事と楽しみの絶妙なバランスを熟知していて、確かに長時間スタジオに入りっぱなしで大変ではあるけど、その中で、お互いを笑わせる術を何通りも見つけ出すんだ。
MM : 最近はテクノロジーの発達により音楽制作を行う上での様々な便利なレコーディング・ツールが出ていますが、あなたが音楽を創る上で以前と変わった点はありますか?
JV : たしかに今は便利で新しいテクノロジーが沢山あるよね。でも僕が曲を作る時は、やっぱりアコースティックギターを抱えて曲を書く感じかな。
MM : あなたのような作曲家になることを目指している人達へのアドバイスをお願いします。
JV : 若いソングライター達は、異なった世代の音楽を色々と聴くべきだね。エルビス、バディー・ホリー、ザ・ビートルズ、ストーンズ、ポリス、U2・・・それに本を沢山読むことだ。何にせよ、ソングライティングが簡単だなんて決して思わないこと。事実、曲を書くことはかなりのハードワークだからね。僕は45年間曲を書き続けているけど、作曲は今でも難しいし、チャレンジングだ。それでも、僕自身、毎日何か新しいことを学んでいるし、少しずつ上達していると願いたい。
MM : 今後の活動予定について教えて下さい。
JV : プロデューサーにジェフ・リン(ELO)を迎えて、ブライアンと彼の次のアルバムに取り掛かっているところさ。「Reckless」以来、最高のソングライティングになるんじゃないかな。
MM : 日本のファンへメッセージをお願いします。
JV : 日本は何度か訪れていて、大好きなんだ。現代的でありながら、同時に伝統的でもある。日本の人達は皆フレンドリーで、音楽ファンとしても本当にアメイジングさ。
Jim Vallance official site http://www.jimvallance.com/